一人の時間ー僕の黒歴史

電車に揺られながら、考えている。この時間は本当にかけがえないものだと、日々感じている。例え、これが出勤途中であったとしても、この時間はかけがえのない。何と言っても邪魔が入りにくいことがいい。家にいては、何かと囚われてしまいがちだが、この瞬間は基本的には邪魔なものはない。

一人の時間は大切だ。人によっては、この時間に映画とか見たりするのかもしれないが、僕はもっぱら物書きをしている。スマートフォンはキーボードよりも書きにくいが、ずっと集中して書けるような気がする。

集中している時間はとても貴重だ。この時間さえ使えれば、なんでもできるような気がする。色々と嫌なことがあると感じるのも、人がいるからである場合が圧倒的に多い。その時間が無駄とは言わないが、もっと一人の時間がほしいという欲望を感じている。

これは、馬鹿な欲望かもしれない。人と交わることは、これもかけがえのないことだから。でも、それでも、一人でいるときがほしいと望むのは、贅沢なことだ。

むしろ、人といれるけど、あえて一人を望む、と言う事に何かすごい世界があると思う。人と入れると言う安心感を一人でいても維持できるような、そういった感覚がある、ということなのだろう。

寂しさのない一人を過ごせるなら、それで人生は勝ったものなのではないか、と思った。人は寂しがる生き物だ。何かと、優しさ、優しさがないとしても人の存在を感じたいと願っている。そして、最後には死が待っている。死ぬとき、平然といれる、あっさりと受け入れるには、まず孤独の寂しさの克服が必要に思う。

まだまだそこまでの境地ではないが、書き物をしている中で、徐々に気づきつつある。

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